集めた資料リスト
・ キャベツ、甘藍について
・ 明治17年台風について
・ 移民について
・ 広郷土史研究会会報
キャベツ、甘藍について
- ・広甘藍まとめ
- ・広甘藍についての記載 一覧
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・第90号「広甘藍ものがたり/小栗康治」
・第119号「玉木伊之吉 広甘藍の生みの親/小栗康治」 -
・「日本的洋食」の成立と展開 (日本食品新素材研究会誌)
洋食と肉食、西洋野菜が普及していく様子が書かれています。
全国的な普及は20世紀に入ってからのように読めます。
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・塩害対策野菜 (佐賀県庁)
農林水産省園芸作物課に問い合わせた時に教えていただいたページです。
キャベツの対塩性は「やや弱」に分類されています。
広甘藍(ひろかんらん)について
農業関連・郷土史関連書籍
広郷土史研究会会報
その他(外部リンクです)
明治17年台風について
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気象庁に照会したところ、「明治期に広島地方に津波はなかった。
津波と高潮は異なるもので、被害の内容も異なります」とのことでした。
津波のように被害の大きい高潮もないわけではないが、
明治17年台風(970hPa)のレベルでは、そうはならないとのことです。
・明治17年台風の天気図
・明治26年台風の天気図
・広島県に被害を及ぼした地震の記録
・津波発生と伝播のしくみ
・台風に伴う高潮
・高潮と台風の進路
・台風に伴う高波
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・広島県関連資料と近隣市町村史誌の明治17年台風被災状況記載部分
・「地誌 廣町」の災害年表
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・膺懲碑まとめ
・広郷土史研究会会報 第118号「『膺懲碑』と模範村 広甘藍の関係/小栗康治」
気象庁の資料(外部リンクです)
郷土史関連書籍 調査結果
膺懲碑(ようちょうひ)という石碑について
移民について
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・移民の歴史
調査結果
広郷土史研究会会報
- (PDF文書 300KB)
1998年8月に広郷土史研究会が取材した矢口一美さんの話の抜粋です - (PDF文書 298KB)
例会で矢口一美さんが講演した内容(明治17年台風・広甘藍)について記載があります - (PDF文書 1.64MB)
『大呉市民史 明治編』に「明治17年 ▽7月17日大津波の来襲あり、旧呉町一帯に被害著しく、近隣広村、蒲刈等にも相当の被害あり」と記載があるようです - (PDF文書 704KB)
扉と記事内で、明治17年台風・広甘藍・模範村が、つながりのある事柄として書かれていますが、写真を提供した玉木ヒサコは明治17年台風やそれによる塩害について一切認識しておりませんでした - (PDF文書 149KB)
扉に、玉木家が提供した写真が使用されています - (PDF文書 101KB)
「明治20年ころから広村の大新開等の新開地では塩に強い米国カリホルニア産のキャベツを盛んに栽培して「呉海軍工廠」その他に大量に納めていた」との内容について、写真を提供した玉木ヒサコは一切認識しておりませんでした - (PDF文書 914KB)
浜本美智子に取材することもなく編集者が書いた記事です。浜本美智子本人が話したり聞いたりした記憶のない話が無断で掲載されました - (PDF文書 560KB)
広甘藍栽培の歴史についての論考。扉の写真の説明に「世話係として(中略)玉木伊之吉」とありますが、実際の名簿には「組長」として記録されています - (PDF文書 1.17MB)
町おこしに使われたストーリーに似た内容 - (PDF文書 248KB)
「明治17年台風時の広村の被害は東日本大震災と同じような状況だった」との見解 - (PDF文書 362KB)
資料をもとに生産額の推移から、広甘藍と模範村は結びつかないとの論考 - (PDF文書 482KB)
町おこしに使われたストーリーが登場 - (PDF文書 582KB)
明治17年台風・広甘藍・模範村を結びつけることへの疑問を提示 - (PDF文書 3.28MB)
資料から広甘藍の栽培の歴史を追う - (PDF文書 1.14MB)
明治中期にはすでに広甘藍が多量に生産されていたという仮説を裏付ける資料を探すが、なかなか難しい