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おじいちゃん 玉木伊之吉


玉木伊之吉は、私たちのひいおじいちゃん(曽祖父)。
玉木家に残るさまざまな資料から、ひいおじいちゃんの足跡を追ってみたいと思います。

玉木伊之吉 肖像

1866年
(慶応2年)
誕生  
 寺子屋に通うが勉強せず  
1884年
(明治17年)
  台風
 大人なって勉強を始める
明治25年辰5月上旬に中古を35銭で購入した辞書
には「玉木伊之吉用」と書いてある
辞書
辞書
 
1894年
(明治27年)
  日清戦争
1904年
(明治37年)
農会の奨励で米の裏作としての作物を考えていた
農事に明るいお坊さんの教えを受けて
品種改良を学んだ
呉の市場に作物を持って行った時キャベツを見て、
これを広でも作れないかと思い立つ
大阪でキャベツの種を買ってくる
キャベツの品種改良を始める
 日露戦争
1905年
(明治38年)
家督相続  
1907年
(明治40年)
村会議員に就任 県より
模範村の表彰
1909年
(明治42年)
共同苗代で表彰  
1910年
(明治43年)
広の栽培記録に「キャベツ1反・500貫・40円」
初めてキャベツの記載あり
 国より
模範村の表彰
1911年
(明治44年)
品評会にねぎとキャベツを
参考として初めて出品
 
1912年
(大正元年)
品評会で初めてキャベツの一等賞をとる 
1914年
(大正3年)
大正8年という記録もある
広園芸出荷組合 設立 
1922年
(大正11年)
皇后陛下に広甘藍を献上 
1923年
(大正12年)
杭本中新開耕地整理  
1924年
(大正13年)
村会議員を辞任  
1930年
(昭和5年)
天皇陛下に広甘藍を献上


 
1945年
(昭和20年)
  終戦
1948年
(昭和23年)
(82歳)農業誌の取材にこたえる  
1957年
(昭和32年)
(92歳)永眠  


玉木伊之吉について

家族の記録
・足跡
・明治の賞状
・大正の賞状
・昭和の賞状
・写真

広郷土史会会報
第119号「玉木伊之吉 広甘藍の生みの親/小栗康治」
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